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風のような

お洒落なひとを見かけると、
救われた気になる。
と、書くと、
おおげさに聞こえるかもしれないけど。
一瞬でテンションがあがる。
うれしい、と思う。
お洒落なひとは、
そのひとのためにお洒落する。
すくなくとも、それが、
僕のためになっている。
勝手にこちらがそう感じてるだけでも。
ひとのためになってるんだなあ、
と思うと、尊敬だ。
お洒落なひとは、
そのひとの着てる服とか、
靴とか、いろいろとか、
本人もふくめ、そのひとの道を、
おおまたで歩いてるふうに見える。
よいデザインに出会っても、
僕は救われた気になる。
よいデザインを見かけると、
僕が勝手にそう感じてるだけだとしても、
一瞬でテンションがあがる。
うれしい、と思う。
ファッションや、デザインとかって、
そういう素晴らしさがあるんだなあ、と。
おおげさに聞こえるかもしれないけど、
生きる、気力のようなものを与えてくれる。
曇り空からさしこむ光が
心のもやもやをふきとばしてくれる。
また、風のような。
気持ちのよい風がふけば、
気持ちがよい、と感じる。
そのような、風をふかしてくれるひとの、
日々の仕事にも憧れを感じる。
そのような、風をふかしてくれるひとたちの
存在に、やはり、救われる気がする。



# by toshikimin | 2012-04-02 23:52 | その他 | Trackback

マップのつかい方

そういえば、よく雑木林のなかをあてもなくさまよったり、目的は虫取りだったのだけど結果的にあてもなくさまようことが多かったわけで。また、知らない場所へもよくでかけたりしていた、そのような子供時代があったからこそかどうかはわからないけど。比較的、道に迷わないですむ人生を送っている。
あ、すこし自慢げになってるかもしれないので、補足すると。ちょくちょくは迷う。迷って遅刻しそうになることもあるので、なんとなく迷わないだろうという自信みたいなのがあるだけなのだろう、と思う。
そうそう、方向感覚ということでいうと、猫の方向感覚のすごさを、みなさんご存知でしょうか。
一度、実家にノラ猫がよくきていて、これは後日聞いた話なのだけど、親がどのくらいだろう2から3kmくらい離れた、その猫にはまったく縁のなさそうな場所に置き去りにして(ひどいよね、、)帰ってきたらしく、それを聞いてかわいそうと思ったけど、なんと数日後にはにゃんと実家にもどってきたという。弟いわく、にゃんと鳴く声でその猫とすぐわかったみたいで腰をぬかしかけたと言っていた。
動物には人間にない才能がほんとうにあるのだなあ、と。道もわからないのによくもどってこれたものだ、と。地図があればと思うけど、あったとしても猫には地図は小判のようなものだし。
地図って、考えてみれば、上から見たバージョンしかないのは、理にかなっているからだろうけど。べつに、下から見上げたかたちの地図があってもよさそうなものだ。
右利きのひと、左利きのひとが、いるのだから、鳥体質のひと、地底人体質のひとがいたってかまわないし、いなくたって想像上いてもよいだろうし。もしかしたら、需要があるかもしれないではないか。上利きではなく、世の中にはそのほうがワシは見やすいぞ、という下利きのおじさんだっているかもしれないぞ、と。
そうそう、空を見上げるようにして地図を見上げながら目的地に向かうって、楽しそうだし、気分も晴れてよさそうじゃん。雨の日だと傘のかわりにもなって道にも迷わない。
それこそ、上を向いて歩こう、だ。



# by toshikimin | 2012-03-31 01:27 | その他 | Trackback

(無題)

おとめきたつ、かぜのおうち
ふーふーさけぶ、あなたのいのち
わたしとわたし、あなたとあなた
なにごとも祈らない、はためきたつ
やねのてっぺん。すこしすこしを、
かぞえるゆびさき
なぞらえる、ひとの。いきる、先を



# by toshikimin | 2012-03-31 00:38 | その他 | Trackback

パンダの中にある

小学生のとき、うちには大きなパンダのぬいぐるみがあった。
父がどこからかもらってきたものだと記憶している。
うちは四人家族で母以外はすべて男である。
いくら小学生だからといって男の子にパンダは似合わない、ということだった。
なんとなく僕たち兄弟のものとなった大きなパンダのぬいぐるみだったけど、
僕たちの手の届かないタンスのてっぺんに鎮座させられ、
パンダの所有者たちには、さわらせてもらえなかった。
その、でかパンダの値段が、いくらくらいするのかまったく想像できなかったけど、
小学生が抱きかかえるのには精一杯なくらい大きかったし、
首にゴールドの首輪のようなネックレスのようなのまであったように憶えている。
もちろん本物のゴールドではないにせよ、その金色は、
こどもごころに高級なやつだとイメージさせた。それに、
さわってはいけないくらいに大事なもの、手の届かない所にあるものだった。
ある日、僕は、椅子だったか、なにかをつかってだろう、そのタンスのてっぺんの
でかパンダを床におろした。
パンダの背中だったか後頭部だったかお尻だったか、
記憶が定かではないのだけど、チャックがついていて開けることができた。
その後、僕は定期的にパンダをタンスからこっそりとおろしては、
チャックを開けたり閉めたりを繰り返した。
ほかにすることがなかったのだから、しかたがない。
プロレスの真似ごとをしようにも、高級なやつを傷ものにしてしまってはと、
まるでお守りをあつかうかのように丁寧に接していたと思う。
ある日、僕は、いつものようにパンダをこっそりとおろしては、
チャックを開け、そのなかに、折り紙でこしらえた「やっこさん」をしまった。
そして、そっと、チャックを閉めた。
その後、僕は定期的にパンダをタンスからこっそりとおろしては、
チャックを開けたり閉めたりして「やっこさん」がどうしてるかと繰り返しチェックした。
チャックを開閉する目的ができたのである。
おそらく、たぶんだけど、じぶんが大人になってから、その「やっこさん」を
ふたたび見ることができるのをたのしみにしていたように思う。
そのようなことを、このパンダだけではなくて、ほかにもいろいろやっていたようだ。
ただ、僕が中学生か、高校生になったころ、でかパンダは知らないうちに消えた。
パンダはどうしたんだ、と、母にたずねたら捨てたらしい。
うちにはパンダをかわいがる人材がいなかったということになっていたのだから。
そして僕がパンダをさわっていたり、「やっこさん」をしまっていたりしていたなど
だれも知らないし、そんなことをする必要もないし。でも、残念だった、な。
しかし、なぜ、男がパンダをかわいがってはいけないのかということなのだけど。



# by toshikimin | 2012-03-29 02:02 | その他 | Trackback

春先に、ゆたんぽ

そうだった。
ことしの冬、ゆたんぽをつかって、一日だけ寝た。
初めてではなかったはずなのだが、
つかいかたがよくわからなかったので、
まずは「取説」に目をはしらせた。
「低温やけどを防ぐために布団から出して使用する」
という一文が、目にとびこんだ。
意外だった。
ゆたんぽって、添い寝するものじゃなかった。
長時間おなじ部位にあてていてはいけない。
かんがえてみればそうだよな。
真逆のやつだけど、ドライアイスみたいなもの?
それはちがうか。
「取説」には、低温やけどに至るまでの
おおよその温度と時間までしるされている。
まったくちがうやつだけど、三葉虫の化石に
ちょっと似ている、ゆたんぽ。
話がとびすぎてる。
というわけで、
すこし不安をかかえながらの睡眠となった。
朝めざめると、いちはやく低温やけどの確認をした。
そのような形跡はどこにもなかった。
当人は、(ゆたんぽのことだけど)
ちょっとつきはなされ、さみしそうに
孤独を強調するかのように、冷めていた。
この冬たった一日だけだった、ゆたんぽ。
またことし冬が来たら、
そうか、ことし二度目の冬があるんだ。
低温やけどなんか気にせずつかってみるよ。
夏をはさんで。二度目の、ゆたんぽを、ね。



# by toshikimin | 2012-03-28 03:04 | その他 | Trackback

温泉旅館(仮)


先日、フェイスブックのニュースフィードで知り、わくわくしたこと。

『千と千尋の神隠し』に登場する温泉旅館のモデルになった場所があるらしくて、画像もいっしょにあったのをみて、わわっとなって、うれしさがこみあげた。
さっき、そのことを思い出し、ネットで一応検索してみたら、モデルになったのはどうやらその場所だけではなさそうで、特定のモデルというのはないみたいだった。ただ、じぶんの記憶にある油屋のイメージそのものだったから、おおっと、ひきつけられた。

「ファンタジーの場所」が「実在」するのって、正確にはモデルになったとされる場所があるということだけど、作品だけではなくそういうのもすごくファンタジーなものだと思う。それは場所だけではなく登場人物も同じで、モデルとなる人物が実在する、ということを知り、実際にお会いしたり見かけたり、また意外な人物がそうなのだとわかれば、くちをとんがらかせ、おーと言ってしまいそう。

そんなことを考えていると、実在の場所や人をモデルにしたショートストーリーを書いてみたいと思った。あらかじめ、実在する場所や人をモデルに物語を書くということを決め、ただ、どこが舞台であるかとか誰をモデルにしているとかにはふれずに。いくつかのショートストーリーができあがるうちに、だんだんと、モデルになった場所や人物が実在するというファンタジーは、じぶんのなかで小さないのちのようにそだっていくのではないかと。

もしも、作品がいくつも書ければ、そのうち、その話の場所はどこであり登場する人物は誰をモデルしているのか、というのをお知らせすることになるだろう。ただ、どのようなかたちでお知らせするのがよいのか、今はまだそこまで考えないでおこう。その方がじぶんにとっても楽しみを先送りにできる。それよりも、よいストーリーが本当に書けるのか、さらに継続することができるのか。わからないけれど、きばらず、書いていけたらと思っています。

ちなみに、仮のタイトルは、ほんとなんでもよいのですけど、
『実在するファンタジー』
『もえるゴミ、もえないゴミ』
『宇宙人はほんとうにいるの?』
『今度、どこ行きたい?』...
適当に今、られつしたけど、現時点では。

『温泉旅館(仮)』にしておきます、、。



# by toshikimin | 2012-03-22 22:29 | 温泉旅館(仮) | Trackback

料理、、。

料理ができないわけでなく、料理をしないだけなのだ。

料理はつくれるわけだけど、おいしくできないだけなのだ。

料理をできればつくりたくなく、料理はたべたいだけなのだ。

あと片付けはきらいだけど、お皿を洗うのはわりと好きなのだ。



# by toshikimin | 2012-02-06 18:44 | その他 | Trackback
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